古きを識る、温故価新
今は昔、亡き祖父は「水戸黄門」「暴れん坊将軍」を欠かさず観ていたので
その隣で私も一緒に観ていました。
そんなきっかけで少しづつ歴史に興味をもつようになり
中学生の頃に友人から横山光輝の三国志を全巻譲ってもらって以来
三国志に興味を持ち、図書室に通い詰めて陳舜臣の三国志を読破。
確か当時出版されたての「反三国志(所謂 if小説、蜀が天下を統一する
荒唐無稽なストーリーです)」も図書館への入架日を指折りにして
待ち侘びて、そしてワクワクしながら頁をめくったものです。
そして高校生の頃には当時週刊少年ジャンプで連載していた「花の慶次」や
「影武者徳川家康」をきっかけにして、その原作の隆慶一郎作品、
いやその隆慶一郎史観といいますか
“ 歴史上では消えゆく敗者、埋もれゆく想い ” への敬意に感銘を受け
“ 自由を標榜しながらも、それに伴う責任に重きを置く ” 主人公の生き様に
憧れ胸焦がすようになりました。
なんせ隆慶一郎作品「影武者徳川家康」では物語の冒頭から
徳川家康が暗殺されてしまいますから。
ただ前出した「反三国志」のような ifモノと全く違うところは
読者の嗜好を酌んで通説を変えるものではなく、歴史は通説“通り”でありながら
その裏、水面下でストーリーが展開されます。
ifモノに対してotherモノとでもいいましょうか。
例えば「影武者徳川家康」では冒頭関ヶ原の戦いで徳川家康が突如暗殺されてしまいます。
当時 “海道一の弓取り” と勇名を馳せた家康の威信に依存しきっていた徳川政権は
家康の死を伏せるためにその影武者を務めていた主人公・世良田二郎三郎元信に
徳川家康になりすますように恐喝するのです。
そこで世良田二郎三郎元信は表面上では徳川家康になりすまし、史実通り関ヶ原後に
豊臣政権を滅ぼし、徳川幕府を盤石のものとしていきながらも
自身の自由を勝ち取るべく、石田三成の遺臣である島左近と共に徳川政権と暗闘を
繰り広げていく・・・
といった具合に、通説通り、でもそこに消えゆく敗者(=弱者)と埋もれゆく想いに
脚光を浴びせ、そしてわずかな脚色を鏤めているのです。
(ちなみに同氏作の「吉原御免状」とその続編「かくれさと苦界行」は
この影武者徳川家康の世界観を基にしているので、殊更に併読をオススメします )
そんな歴史モノ一辺倒な青春時代を過ごし
最近では仕事上でも古きを識り、「今楠木」現代の軍師たらんと
坂の上の雲の秋山真之ばりに果ては一対一の兵法に至るまでの
あらゆる戦略・戦術を歴史から学び、その価値を見出しつつある訳で。
そのきっかけをくださった亡き祖父、名著の数々には感謝してやみません。
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